「計算ドリルとかって子どもにとって楽しくないと思うんですよ。」
 

本当にそうなのだろうか。それは使い方が間違っているだけじゃないのか。
 

例えば筋トレ。
一部のドM族を除けば決して楽しいものではない。
 

しかしジムのトレーナー的な人がそれぞれの人に適した負荷からプログラムを組み、
体重や体脂肪率といった指標で成果を分かりやすく伝えてくれるから続けられるし、
夢中になれる。(たぶん)
だからわざわざ筋トレに金払うようなビジネスが成立しているのだろう。
(ジム行ったことないから想像だけど)
 

ドリルだってそれ自体に楽しいとか楽しくないっていう価値判断は付いていないはず。
 

目の前の子どもに適した内容で、適した量を、そしてそれをこなしたことで
どういう効果が出ているのかをきちっと伝え、承認してあげることができれば、
ドリルだってテレビゲームと同じような存在になれるかもしれない。
 

自戒を込めていえば、モノそのものにレッテルを貼ることは
自分の非を回避できるし簡単なこと。
例えば教科書だって
「分かりにくい」「使えない」
と批判するのは簡単だけど、圧倒的な指導実績を叩き出せる先生は絶対にいるわけで、
正しく運用しているのかとか骨の髄まで使い尽くしているのかと
考えることはとても大事だと思う。
 

最近飛び道具のような教育方法や飛び切り優秀な人材の確保を
求めているような論調がある気がするけど、
今ここに存在している教科書や教材を正しく運用して使い切ることの方が
何より優先な気がするんだけどなぁ…。
 

…プロポーザルの質疑応答は戦いのスイッチになってしまう。
だ め だ…。
全力で論破しにかかってしまった。
もう家に帰りたい…。