小学生の時に特異な趣味があったわけでございますが、中学、高校と農村だ自然だというものには興味のかけらもなく過ごしていました。特に高校時代は、目の前に神宮球場があり、10分で渋谷に着いてしまうような高校で過ごしていたため、もっともそういうものから離れた時期だったのかもしれません。
※ここで渋谷でクラブに通い詰めていたと書けば中々かっこいいものですが、学ランでリンガーハットでちゃんぽん食べていただけです。
 
そんな高校時代に、今までのすべての価値観を覆すような出会いをしました。それが、『THE BLUE HEARTS』というバンドを始めとするパンク・ロックという音楽との出会いでした。
buruha
出典:http://www.nextglobaljungle.com/2010/02/25cddvdpv14.php
ああ、この写真本当に好き・・・。泣ける・・・。

社会に対しておかしいことはおかしいと言い、何かに取り組む時は「がんばれ!」と背中を押してくれ、好きな人のことを「ごめんなさい、神様よりも好きです。」と唄ってしまうような、こんなにストレートに、素直に表現をしていいんだと教えてもらったのがこのバンドでした。私の高校時代は、英詞で唄うHi-standardが活動を休止した直後で、THE BLUE HEARTSのフォロワーである日本語で唄うパンク・バンド(彼らのことをあんな奴らはパンクじゃねぇという論調も多々ありましたが)が雪崩を打ったようにインディーズでデビューし、最高におもしろい一時代を最も多感な時期にぶつけることができました。ただ、THE BLUE HEARTSはとっくの昔に解散していたため、友人と「生まれてくる時代を間違えた。」といつも言っていました。
 
彼らの何がかっこよかったかというと、「自分たちでやる」という姿勢です。大きな資本に属することなく、インディーズの小さいレーベルからアルバムをリリースし、ライブで全国を回ってファンを増やしていく。
CD自体も「演奏へたすぎるだろ!音悪すぎだろ!」というものが山のようにありましたが、どう言われようが自分たちで作って出すことこそに価値があるというその姿がとてもかっこよかったのです。

元々パンク・ロックは、1970年代にアメリカはニューヨークで産声を上げたものがイギリスに飛び火して拡大していったものです(パンク・ロックの研究は大学の卒論で調べ上げました)。元々シンプルだったロックンロールがどんどん肥大化していき、金持ちしか買えないようなライブのチケットになっていたり、曲の間奏で長いギターソロやドラムソロが入らないとだめみたいな風潮になった中、「ストリートにロックを取り戻せ!」と3つのコードしか弾けないようなバンドが生まれ始めました。

彼らの合い言葉は、
「Do it yourself!(自分でやれ!)」
というもので、自律していること、戦うこと、ユニークであること、そんな姿勢すべてを教えてくれました。
 
『僕とSex Pistolsの繋がりは、ああいう実存的怒りに満ちたもともとの動機、ロックンロールで何でもやってやるんだという思いと僕とが直接結びついたものだったってこと――キャリアなんて考えるな、すべて自前でやれ、っていう、ロックンロールのアマチュア精神だよ。僕はそういうもので育ったんだ、何でも自分でやれるんだっていう可能性を植え付けられて育ったんだよ。
70年代が幕を開けたら、金をたくさん持ってなきゃ何ひとつできないっていう考え方になった。でも僕の考えは昔のまま「うるせえ、演奏下手だって、いい楽器持ってなくたっていいんだ、それでもやるんだ、なぜかってあんたらみんなくだらんチンコ野郎だと思うからさ」ってとこにあったんだよ。
怒りを生み出していたのはそれだと思うんだ――怒りの元は単純に金だよ、カルチャーがすっかり企業化して、僕たちのものじゃなくなったってこと。ちきしょう奪い返してやる、って思ってたのさ。』
(マルコム・マクラ―レン)

一見すると農村とパンク・ロックなんて何の関連もないように見えますが、「自分でやれ」に象徴する、自分にとって正しい生き方を実現できるのは、都市部ではなく農村なのではないか。そんな仮説を、パンク・ロックに出会って10年経った後に考え始めるのでした。

今もなお、彼らに教えてもらったことだけは裏切りたくないと思いながら日々生きています。

(無駄につづく)