高校へは電車で通っていました。山手線→銀座線という日本屈指の激混み路線をすり抜けていきます。新橋駅では改札付近から動けず、1分ごとにやってくる電車が来る度に、人のかたまりがゴゴゴゴッ、ゴゴゴゴッと移動していく感じでした。改札付近から動けなくても1分置きに電車が来るので、5分も待てば乗れてしまいます。それはまるで押し寿司の海老のように。

入学したての頃は初めての電車通学ということもあり、ちょっと大人になった気分でその状況を楽しんでいましたが、半年も経つと「しんどすぎるだろ。」と思い始めます。中途半端に身長が高めだったので、人の後頭部の髪の毛がよく口に入ったり歯に当たったりして地獄だったのを思い出します(人の歯が自分の髪の毛に当たる側もそれまた地獄)。
その頃はパンクスの偉人達から批判的思考という名のただの『大人のやること全否定思考』を学んでいたので、徐々にそのすし詰めで電車に乗っている状況がおかしいと思うようになってきました。真っ黒いスーツの軍団が、精気のない顔をして毎日同じ電車に乗っている(会社につけば楽しく仕事してるかもしれないので偏見なのですが)、その異常さに飲み込まれて慣れていく感じがとても嫌でした。

「なぜこういう状態が嫌だったら、変えようとしないんだろうか。夢とか目標を持てというけれど、どう見てもこんな表情で毎日過ごしている大人たちが持っているわけないじゃないか。」
と毎日思いながら電車に乗るようになりました。かといって、じゃあ自分が他にどんな選択肢があるのかも全く考えようともせず、高校に着けば部活だ文化祭だと楽しかったのでただのうのうと過ごしていました。親もサラリーマンで何不自由なく育ててもらったこともあり、いいも悪いもなく自分もそうやって生きていくもんだと思っていました。

よく地方から上京してきたバンドのインタビューで、
「田舎町のこの退屈さが一生続くのかという絶望感があって都会に出てきた。」
というようなものをよく読んだ記憶があるのですが、都会に住んでいる身としては、
「この満員電車で一生会社に通い続けるのか。」
という絶望感が確かにありました。

要するに場所を変えるだけでは理想郷にはならないということは今でこそよく分かります。田舎でも自分次第で刺激的に生きていけるし、都会でも働き方や住まう場所をうまくやれば快適に生きていけるのだと思います。

個人的には、高校生という時期に感じてしまったこの気持ちが大きく、「日本経済のど真ん中で働きてぇ!」みたいな感情はこの時既になくなってしまった気がします。

そして浪人した後、一人暮らしがしたいという理由だけで関西の大学に進学します。

(無駄につづく)