今日は前職のNPO法人ブレーンヒューマニティーの理事会&総会。
退職した後も、正会員という形で関わることになっている。

視線の先にいる長い時間を共にした理事長や職員たち、そして立派になった学生の中核メンバーたち。
すぐ横に座っている同じく先日退職し、親子カフェを開いた元事務局長。

そこにいるメンバーと共に責任を背負わなくなった時、同じ速度で走るのを止めた時、自分はもうそのコミュニティの中心にいる人間ではないのだということを感じる時間だった。

もちろん、だからもう会いませんとかそういうことを言いたいわけではなく、1日という時間の中で、その多くを仕事に費やす中で、少しさみしいけれど頼ったり頼られたりしながら共に戦う関係ではなくなったということだ。

新しく理事になる学生に、
「がんばれよ。」
と声をかけたが、その場所ではもう責任を背負わない自分の言葉の薄っぺらさに後でヘドが出そうになった。本当にがんばってほしいと思って言っているから嘘ではないはずなのに、この違和感はなんなんだろう。
 
そう、
「一緒にがんばろう。」
ではないということなんだ。
 
そうなってくると、次第にどんな会話をしていいか分からなくなる。したくないけれど、何を喋ればいいかよく分からなくなるから、よそよそしくなっていく。

総会の帰り道、総会中に着信のあった番号に折り返す。地域のまちづくりメンバーの友人からだ。
「昨日の会合、どんな結論出たんかな?」

そういえば昨日は、今住んでいる地域のまちづくりメンバーの会合だった。以前は会合に参加して話を聞いているだけで、イベントがあれば手伝うという受け身なだけだったけれど、今は報酬をもらうこともしているし、新しい動きの中で自分の役割を探しながら提案を出していくことも増えてきた。
 
そこには確実に責任が出てきている。
そして同じく責任を背負うメンバーの方々と、以前よりも濃く繋がり始めている。

本気で背負おうとすれば、たくさんの責任は背負い切れない。
背負うものを替えるということは、人との関係性も変わるということだ。

明日は先日産まれた娘が退院して家に来る。
家族の関係性もまた少しずつ変わる。

さみしさや、これから待っている期待、色んなことが入り交じる年の瀬の雪見鍋からカツ弁当。