NPO法人ブレーンヒューマニティーに職員として戻って5年間、色々なことがありました。その中でも特に、今でも忘れられない一言があります。

入社してから数年間、子どもたちと自転車で兵庫県を縦断する『チャレンジングデイズ』というキャンプの担当をしていました。担当といっても、子どもたちを先導するような役割は他団体の方にご協力いただき、私は助成金をゲットしてくるような役割や募集を主な担当としていました。
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 (出典:http://d.hatena.ne.jp/challenging-days/

毎年キャンプの最終日には、いかだを作って日本海まで到達するという感動のゴールが待っています。
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私はバックアップ要員だったため、いかだ作りのために、事前に上記写真の各タイヤに空気を詰めていくような作業をしていました。その中に、いくつかパンクして空気が抜けてしまうタイヤがありました。一緒に同行してくれていた他団体(50代で兵庫県を自転車で縦断してしまう超人軍団、かつかなり怖い)の方に、

「道具がトラックに入ってるから直して。」

と言われました。その瞬間、心の中で、

(いや、パンクとか自動車屋か自転車屋しか直せないっしょ・・・。)

と思い固まってしまったため、次の一言を言われました。

「お前パンクの一つも直せねえのか。情けねぇなぁおい。」

言われたその時はあまり響きませんでした。なぜなら、パンクなんぞ自分で直すものではなく店でやってもらうものだと疑わなかったからです。

ただ、後でこの言葉が徐々に効いてきます。農村に移住してからもさらに効いてきます。たったこれだけの言葉が、何年間も自分のコンプレックスとしてのしかかってきます。

自分の手で何もできることがない。
確かにパソコンは使えて、営業トーク的なコミュニケーションもそれなりにできるかもしれない。
けれど、生きていく上でのほぼすべてのことを金銭と交換で済ませてきた自分がいる。 
もし国が破綻するなり天変地異が起きたときに、自分にはそれでも生き抜く力があるのだろうか。
そういうことに気づき始めたのがこの頃でした。

野菜や米の育て方?分かりません。
紐の結び方?そもそも結ぶ機会がありません。
木工?出来合いのもの買えばいいじゃないですか。
身の回りのものが使えなくなった?捨てるか誰かに修理してもらうかでしょ。

そういう生き方をしてきました。 

「東京出身なんですか?すごいですね!」

何度言われたか分からない。東京出身だからといって何かすごいことはあるのだろうか(別に卑下するつもりもないし、自分の育った町や高校の周辺は本当に誇りに思っているけど、「え!すごい!」感が何に対してすごいのか未だによく分からない)。むしろ年を重ねるごとに、物事をよく分かっているような人に挨拶すると、

「東京育ちか。こいつ何にもできない奴だな。」

と思われているんじゃないかと疑心暗鬼になっている自分がいる(それくらい農村部に住んでいる人たちの当たり前にこなしている技がすごすぎる)。
だからそう思われるのが相当嫌なので、野菜の一つくらいは作れないとと思うし、木で棚くらい作れないとと思うし、スタッドレスタイヤも自分で替えたいと思うし、火なんていつでも起こせるぜくらいの人間でありたいと思っている。

あの時のパンクが直せないことへの失笑は、都市と農村の対比ではなく、もしかした世代の対比だったのかもしれませんが(っていうか考えすぎ)、できなかったという事実は変わりません。こういった経験を重ねることによって、生活に関わることは自分の手である程度でいいからできるような男になりたいなと思い続けて日々恥をかきながら教えてもらっている日々です。

(無駄につづく)