ブレーンヒューマニティーとの契約が切れるのが2015年9月末。

立場が変わりつつも、学生時代から合わせて10年近くお世話になった場所。
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正直に言って、自分からこの団体を取り除いたら何が残るのか。
ほぼ「鶴巻=ブレヒュー」というところで世間に覚えてもらっていたからこそ、自分にある程度の価値があっただけ。
ブレヒューにいたからここまで色んな広がりを持てたことは何一つ疑うことはありません。

そして、ブレヒューを辞めてまで一体何をするのか。
ハローワークで仕事を探すのか。
誰かが声をかけてくれるなんていう甘い期待を待つのか。
自分で何か業を起こすのか。

何一つ先を見据えないまま、契約満了の日は迫っていました。
そんなに支出の多い生活をしているわけでもなかったので、最悪バイトでもすればなんとかなるだろうなんて奥さんに言えるわけないので、黙ったままで不安ばかりかけてしまいました。

おおよそ楽観的なので、イメージとして、農的な生活をして支出を下げると同時に、農村やこれまで繋がった方から小さな仕事をいただいたり、まちづくり活動で収益を出せるようにしたり自分で少しずつ仕事を作っていくことを並行させていけばなんとかなるんじゃないだろうかとは思っていました。
一応これまで読んできた本たちを総合すれば、複数の収入先を持つことはこれからの世の中の不明瞭な動きを考えても生活基盤としてかなり合理的ではあると感じていました。
でもこんな確信もない夢物語で納得させることができるわけもなく、ましてや自分すらもその見通しで納得させるのが難しい状態でした。

一方で、ただ一つ、
「なんとか週の半分くらいは家族で夕飯を食べたい。」
という気持ちだけは譲れませんでした。

なんでこんな感情が日に日に大きくなったのかはよく分かりません。
たぶんこのまま子どもが大きくなっていったら一生後悔すると思いました。

教育にずっと興味があり、教育分野で働いてきて、幼い頃の読み聞かせや親子のコミュニケーションが大切だと教わってその通りだと思ったし、タスクをこなすように数多くの習い事に子どもを行かせる親になりたくなかったし、どうせ思春期になったら親なんて顔も見たくなくなるんだから、帰ってきたら走って抱きついてくれる今くらいは一緒にいたいと思いました。
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ブレヒューでは学生の活動時間や本気でやれと言っている以上、そして理事長にたくさんの時間を使ってもらって育ててもらってきた以上、どうしてもそれはできそうになかったし、次のことが決まっていないにせよ家族の時間を取ろうとするなら続けることはできないと思いました。

そしてほぼ見通しのないまま、2015年9月末、NPO法人ブレーンヒューマニティーを退職し、
『移住者は農村で飯が食えるのか』
という人体実験を始めることになりました。

(「私と農村」おしまい。)