茅葺きの現場に行かせてもらって、職人という世界について触れています。
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茅葺きの世界では、親方に弟子入りしてから、「年明け(ねんあけ)」という1人前として認めてもらえるようになるまで、最短でも5年かかるそうです。
(ちなみに自分も学生時代4年、職員として5年NPO業界にいたが、NPO年明けはできたのだろうか・・・。財務とかほぼ触れてないからできてないな・・・。) 

弟子入りするということは、茅葺きで一生食っていくと決意すること。
例えば20代で、そういう覚悟が自分には決められるだろうか。

作業は違えど、週6日現場に出て作業し続けること。雨が多く降れば、休みの日にも振り替えて作業することになり他の予定を入れるのが極めて難しいこと。
ある現場で助っ人が必要となれば、親方の号令のもと全国の現場に住み込みで行くことになること。

あらゆる時間を茅葺き職人になるために費やす。

弟子入り中も、たくさんの葛藤があると思う。
「本当にずっと茅葺き職人でやっていくのか。」
「親方のような腕を身につけられるんだろうか。」
自分と向き合い続けながら目の前の作業に打ち込む。(あくまで想像ですが・・・)

以前何かの本で読んだが、欧米では企業の人の出入りが激しいため、30代でもいくつもの会社に転職し、40代になるまでに自分の天職を見定めていくという。
これは、様々な経験をしないと自分の力を最大限発揮できる場所を見つけるのは難しいという立場に立っているのではないかと思う。
個人的な性格からすれば、自分も1つのことだけをやるのは苦手で、色んなことを知ったり体験したいという性分なので、どちらかというと欧米型の方がストレスがないと思う。

一方で、職人の世界は、同じ場所でひたすらに技術を積み上げていく世界。
だからこそ、覚悟を決めるなら早く決めた方がいいし、やればやるほど技術が高まり、見えてくるものが変わる世界(なんだろうと思う)。
自分は何かに絞り込むという覚悟を決められないので、純粋に親方や弟子のみなさんがすごいなぁと思う。

今働かせてもらっている現場にも、助っ人として親方とは別の職人さんが来られる時もある。
その職人さんに対して、親方は、
「裏に山があるから、それに合うように葺いてくれんかな。」
という話をして、それでお互いの理解が済むというのだから、職人の世界は深いなと思う。
たぶんホワイトカラーの世界であれば、
1、「裏の山に合う」という具体的な定義は。
2、その定義に沿った葺き方は。
3、その根拠は。
4、それぞれの箇所の長さなどの数字は。
というおそろしく時間のかかる作業をしなければいけない。 

今までやってきた仕事は、基本的に誰にとっても間違いなく理解できるようにほとんどのことを数字で落とし込む。
だから人が入れ替わったとしても、残っている数字やデータさえあれば、それを引き継いで最低限の仕事はできる。だから欧米型のような入れ替わりが激しい状態になっても、数字やシステムでカバーできるのだと思う。

『感覚』
ということをもちろん信じすぎてはいけないけれど、
「あの人だから」
と言われる感覚や技術を磨くことは、自分という存在を代替不可能なものにする意味も込めて、生きる上で大事にしたいことだなと職人さんを見ていて感じます。