最近自分の周りでよく聞く言葉に、「いなす」とか「折り合いをつける」というものがある。
都市で生まれたようなデジタルな仕事をしていると、あまりポジティブな言葉ではないのかもしれない。

九州で大きな地震があり、改めて防災や、起こった後にどういう技や力があればいいのかという話を茅葺きの現場でしたりする。その時に教えてもらったことは、
「茅葺きは、竹で押さえて縄で縛ってあるだけやし、そういう古い家は木を組んでできている。一見脆弱そうに思うけど、大きな揺れがあったときに大きくしなったり縄が少し緩んだりしながら色んなところに力を逃がして、うまくいなしてくれるから安全やねん。昔から地震が多かった日本人の知恵ちゃうかな。今の家は屈強な男がひざを曲げずに直立してるみたいなもんでガチッとしてるから、耐えるか負けるかっていう感じやねんな。」
ということだった。
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また先日2回目の自給農のワークショップに参加した時に雑草の話になり、
「雑草は背丈が高くなってしまったやつだけ鎌でさっさっさと切るか、鍬を入れて少しだけ根を浮かしてください。抜いたり根元から刈ってしまうと、反発してまた立派な雑草が生い茂ってくるんです。うまくいなして折り合いをつけてあげてください。草たちも理解してくれますから。雑草の生態系を、ちょっとだけ野菜の生態系に変えてあげるイメージなんです。」
ということを聞き、ああまた「いなす」という言葉を聞いたなと思った。
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確かにこれだけ自然に囲まれて日々生活していると、自然をすべて押さえつけて人間の好き勝手にするのは無理だと言うことを感じる。折り合いをつけながら、いなしながら適度な落としどころを見つけて関わっていくしかないということを体感的に理解しつつある。

田舎はよく出る杭を押さえつけるというけれど、自然に対しても、農村風景を維持していくための周りの人との関係にも、どうやったってうまく折り合いをつけていくしかない。災害や負の感情に対しては、真っ向から対立しようとせず、いなしながらうまい落としどころを探る。それは大きな発展や個人の大きな利益や勲章を阻害するかもしれないけれど、大きな争いも起きにくいし、人がそれぞれの気持ちを(それなりに)思いやりながらいい塩梅で営みを続けていくができるとても高度な知恵なのかなと思う。

今生きているこの世の中は、発展しているようで劣化しているような不思議な時代を生きているのだろうなと思う。