人にはそれぞれ得意なことと苦手なことがあり、それは想像以上に幅があることに気付く最近。

学校では同じ尺度で評価され、社会では一括採用で同じ仕事を振られ競争する。
そこで生まれる順番や成果の量は能力の差ではなく、向き不向きの差でしかないということだ。 
他人より秀でている部分は誰しもある。だから色んな人に会って色んなことに興味を持ってそれを探していくことが大切だと思う。自分のことは常に周りとの比較とその中で生まれる自分への問いで分かってくるのだと思う。

学生の頃にイベントを作っていた時、誰しもが企画を考えるのが好きで、誰しもがお金の管理やエクセルは嫌いだと思っていた。
「あー我が友よ会計責任してくれるのねー貧乏くじ引き受けてくれてありがとうーいい奴すぎるー。」
と心の中で感謝していたが、学生時代活動を共にしていた妻に聞いたところ、
「総責任者になって指示したり決断する方が絶対嫌やわ。」
とさらっと言われ、そういうものなのかと思った。
(ちなみに余談だが、妻の一番好きな家事は洗濯らしく驚きしかない。「Stay Outside System」と称して外に干しっぱなしにして風呂入る前にその分の下着だけを取り込んでいた学生時代も含め、洗濯→畳んでしまうという行為は面倒臭くて苦行である。)

特に最近は今までと全く違う仕事をしているからかなおさらそう思う。
例えば職人さんの飲み会で、ほとんど言っていることの意味が分からない訳だが、仮に今から茅葺き職人の弟子にしてもらってあの世界に入っても、勝てないというのはよく分かる。手先が不器用だし、空間的なことが苦手だし、プロダクトにこだわりを持つ人間ではない。それは色んな人との比較で自分の特性としてよく分かってきた。だから特に嫉妬することも妬むこともなく、「すごいなぁ。」と尊敬しながら純粋に聞いている話や現場のかっこよい佇まいを楽しめる。
逆に、こうして発信することや交渉、調整ごとなどの人との関わりについては、ちゃんとある程度の価値を示していかないとまずいし、この部分で人の役に立ちたいと昔よりも思うようになってきた。数年前までは、発信も交渉も調整も相手があってのことだし何も残らないものだからなんかしょぼいなーと思っていたけれど、残念ながらそこを伸ばしていくしか自分の生き残る道はないので今は前向きに捉えている。これが自分の役割なんだと。

要するに、自分の不得手が分かってくると、余計な負の感情を持つことなく気持ちよくリスペクトしたり前向きな競争意識が持てるようになるのかもしれない。
そうなってきた30代は20代の頃よりも楽しい。

最近ひしひしと感じることを記録的に書いてみた。
そして今横で簿記を勉強している妻を見て、特性が違いすぎることをまた実感している。
数字を合わせるという行為などからは力の限り走って逃げたい。
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