先日取材を受けた際に、大家さんが手書きでびっしりと書いて自分と記者さんに渡してくれたものを抜粋。
そもそもの話、世代を越えて引き継いでいける昔の家というのは本当にすごいと思うと共に、色んな思いがあって今こうして大家さんが見ず知らずの人間に家を託してくれているのだということを知る。

農村の生活は軽い感じで済まないことも多いし、それが人を遠ざけている面も否定できないが、世代から世代へモノや技や知恵を大切に繋いでいくというこれまでの営みを自分たちの代で終わらせてはいけないということを最近ひしひしと感じる。

「家」は生き物であることを忘れてはならない。柱も、壁も、床も、呼吸をして自ら生きている。人が住まなくなれば室内も呼吸困難になり、使用不能となる。人が住み、掃除をし、虫を遠ざけるから生き続けるものである。したがって、空き家は家としての生命力を失うことになる。

人によって理由は異なるが、維持管理が困難となれば、希望する方に住んでいただく方向で検討することが、建築物としての歴史を歩んできた「家」を大切にすることにつながると考えている。

家だけでなく、田畑も同じである。人の手によって耕されなくなった田畑は、元の自然に回帰してしまう。縄文、弥生時代の姿に戻るのに時間はかからない。それが自然のもつ生命力であろう。

家も田畑も維持することが困難となれば、それを活用できる人に任せることが「活用」であり、自然への感謝であり、先祖への恩返しであると考えている。

農村地域では、家や田畑を手放すことはご先祖様に申し訳ないという気持ちが強い。勿論、私としても同じである。しかし、見苦しい姿になっていくことの方が、それ以上に悲しく、心苦しいことである。だから、家や田畑や里山も、大自然からお借りしているに過ぎない共通の財産であるという広い気持ちで対応したいと思う。
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