少しばかり冷たい風を感じると、不安まみれの退職の瞬間を思い出す。
先を見通すこともなく、なんとなるだろうをタカをくくって始めた「移住者は農村で飯が食えるのか」という実践、1年目を何回かに分けてまとめてみようと思う。

Q、移住者は農村で飯が食えたのか
A、ええ、食えた(1年目は)
おかげさまで、なんとかなった(『おかげさまで』という言葉を今年ほど嚙み締めたことはない)。
退職とほぼ同時に共働きの奥さんが産休に入ったので、2つの財布が同時にダメージを受ける危機的状況であったが、凌ぐことができた。
 
退職前からやらせてもらっていた里山への移住促進事業がまず一つの柱。1~2か月は移住促進事業だけやってゆっくりのんびりしようかと思ったが速攻そわそわしてきて無理だと察知した。

2つ目の柱は、退職する数か月前に、
「辞めたら茅葺きの現場も来てみたらええよ。」
というジェントルな社交辞令なのか本気で言ってくれているのか分からなかった同じ淡河町の茅葺き職人相良さんにゴルゴ13ばりに狙いを定め、10月の終わり頃連絡してみた。すると、
「いつでも来てええよ。」
というあり得ない切符のよさ(こんな組織とか会社ってあります?)で、連絡したその週から混ぜてもらうことになった。
生まれて初めての現場仕事だったけれど本当にいい人たちばかりで、農村スキルも色々学べ、週2回で今もずっとお世話になっている。この行った分だけ報酬をもらうというシステムは非常に明確で清々しくて好きである。

そしてもう1つ。
同じ町内のベーグル屋さん「はなとね」にふと遊びに行った際に『アルバイト募集』と書いてあったので、厚かましくもその場で店主村上さんに、
「僕でもいいですか?」
と完全に断りにくい関係性の中脅迫まがいに迫り、週末に働かせてもらうことになった。

移住促進事業と週2回の茅葺きの現場、ベーグル屋さんでのバイトで、なんとか大卒新入社員の3分の2くらいの報酬をもらえるようになる。普通に考えるとかなり少ないが、(当時の)移住促進やベーグル屋は町内での仕事だったので町外に出ることもなく、茅葺きは現場の近くにコンビニなどもなく、それぞれほとんどお金を使わない。今も思うがむしろこれくらいの仕事量で、かつ物欲を掻き立てられない(もしくは物理的に買えない)場所で過ごし、週1.5日くらい畑をやって自給レベルを上げるくらいが一番合理的なのかもしれないと思ったりする。仕事が増えたり気持ち的な余裕がなくなると、それを埋め合わせするかのように無駄遣いが増えるのかなという感覚も改めて知った。

その後12月頃に、NPO法人生涯学習サポート兵庫の理事長山崎さんから、神戸で長期実践型のインターンシップの拠点を立ち上げるから一緒にしないかというお誘いを受け、年明けから徐々に動き出しこれが4つ目の柱になることになった。上記3つはほとんど初めてのことばかりだったけれど、こちらは今までの仕事の延長でもあったため、自分のこれまでやってきたことを発揮できる場所でもある。気持ち的にこういう場所が1つあるのはこれまでの積み重ねを感じることができるので嬉しい。 

この4つの柱(今はベーグル屋さんにはほとんど入れていないが…)でありがたくも「飯が食えるのか」のお題については早い段階で「(今は)食える」と回答できることになった。

それ以外でも、西宮の親子カフェYORICAFEさんとの農村体験イベントや、まちづくり団体での活動、そして現在開園しているさつまいも農園など小さい収益もちょこちょこ積み重ねられた。むしろ今は色んな人に雇っていただいてなんとかなっているだけなので、もう少し農村体験イベントやサツマイモ農園のような自主で仕事を作ることにも力を入れていかないといけない。

大都会で月12万とか13万の家賃を出すような生活スタイルではないので、現在は普通に生活できている。ただこれでいいというわけではなく、自主事業の割合を上げたり、報酬の増額を要求できるくらいの成果を出していくことにはこだわっていかないといけないと思っている。

食えるのかについての回答はひとまずこんなところである。 
茅葺仕事④