悲痛なことがテレビで繰り返し流されている。
同じような年齢、同じような年齢の子どもがいる人間として、テレビを直視するのも苦しい気持ちになる。
ただ、もし彼女が病気でなければ、今後メディアがあの家族を取り上げていたであろうことは、夫の仕事のことか、その子どもが舞台デビューするとかしないとかいう表舞台のことばかりだったのだろうとも思う。
病気のことがあったから、急に家族のことが取り上げられ、生きていることが尊いといったようなことが連日報道されていたのではないだろうか。
メディアが取り上げるべきことは何なのだろうか。もちろん、家族のことをしつこく取材して取り上げることを望んでいるわけではないのだけど。
本当は、晩にその番組を見たら、
「明日は集中して仕事をして家族で夕飯食べられるように帰ろう。」
とじんわり思えるような、そんな番組があってもいいのではないだろうか。
…家族のことばかり書いていると押し付けみたいになってきてしまっているので、どちらかというと「明日も悔いなきように生きよう」と思えるという感覚の方が正しいのかもしれない。そのマインドセットをメディアに頼る必要は全くないけれど、影響力が圧倒的に高い媒体なので、テレビが変わると大きな変化が起きるような気がいつもしている。逆の影響もまた然り。
その日のストレスを一時的になかったことにするような、そんな番組ばかりのような気がする。
何かがあった時だけ、本当に大事なものであるはずのものがスポットを浴びる世の中。
何もなくても、それにふと気付けるような世の中であればいいなと、そんなことを思った。
ただ感動の安売りみたいなしょうもない番組は最も嫌いなので、そのあたりは難しいですけれど。
何を放映すればいいんでしょう。結局答えも案もなし。
テレビをつけないというのが、最も目の前にいる相手を大事にできる行為かもしれないし。