あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

ちょうど昨年10月の秋の真っ只中、取材を受けた。
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丁寧に編集された文章はとても嬉しく、普段考えていることを第3者の目線から文章にしてもらうというのはこれまでを振り返る意味でも貴重な機会であった。

一方で、語っているような仮説を、本当に現実の中で取り組めているのか。
お金だけに頼らない生活。
自給力を上げていく生活。
子育ての時間をできる限り取る生活。

2017年は、時が進むに連れてどんどんできなくなってしまった1年であったような気がしている。
その代わりに(?)、自分にはもったいないくらいの色んな機会や出会いに恵まれた1年でもあった。

新しい出会い、新しい仕事やチャンスというのは麻薬のようなものである。
自分が必要とされている、誰かの役に立てるというのは特別な喜びであり人間の承認欲求を大いに満たし、さらにはその報酬により金銭的な面での心の不安さえも取り除いてくれる。

ただそれにより、足元は揺らいでいないだろうか。
「今日も夜用事あるわーごめん。」
と妻に告げることを以前より軽々しく言うようになっていないだろうか。
家族の誕生日や季節の行事ごと、直前に適当に準備して形だけ取り繕おうとしていなかっただろうか。
庭先で少量でも野菜を育て、漬物のような保存食を作ったり食材をきちっと使い切る行為を放棄していないだろうか。
淡河ワッショイの地域活動のことも取材で取り上げてもらったが、果たしてどこまで時間を割けていただろうか。
 
近くの公園で子どもと遊ぶことが、2ヶ月も開いてしまったのはなぜだろうか。

こうありたいという姿に、正解も明確な意味もない。
こうしたポジショントークに虫唾が走る人だっているだろう。

仕事を否定したいわけでもお金を稼ぐことを否定したいわけでもない。
ましてヒッピーみたいになりたいなんて欠片も思わない。

どれも大事。
でも子育てにも仕事にもお金にも自給自足にも先鋭化しすぎてはいけない。
どこかに突き抜けて、有名になりたいわけじゃない。
それなりの折り合いの付け方ってどこにあるんだろう。
考えていきたいのは、そこ。
【だから彼らは「意味なんてねぇ」と語ることで、意味を過剰に読み取ろうとする社会に釘をさす。意味に飢える社会では、安直な答えを語らないことが、もっとも誠実な答えになるのである。】
木島由晶『ヒロトとマーシーの20年』から抜粋
改めて地に足着けながら、取材してもらった中身が嘘にならないように生きていきたい。

いよいよ長男も小学生。
子どもの成長はあっという間。
本当に大事なことは、いつもすぐそばにある。

今年もどうぞよろしくお願いします。
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