12月中旬頃、KOBEキャリアリレーでお世話になったイラストレーター山内さんがイラストを手がけた「地域のみかた」という本がどうしても読みたくて奈良文化財研究所というところに問い合わせたところ、とても丁寧な返事をいただき送っていただいた。
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こうして淡河で生活していて、景観を見て、
「こういう地形だから昔の人はここでこういうことをしていた。」
「この場所にはこういう意味があって、だから〜」
といったことを教えてもらったりするけれど、地形に寄り添って生活するということをしたことがなかったので、未だイマイチぴんとこないことが多い(聞いて初めて気が付くというか)。
なのでこの本を読んで、景観から読み取れるヒントを得られたらいいなと思って面白く読ませていただいた。
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本の中に出てくる『文化的景観』という言葉には、下記のような意味合いがあるらしい。
世界遺産における文化的景観は、「自然と人間の共同作品」と定義されている。さらに、それは、「人間を取り巻く自然環境からの制約や恩恵又は継続する内外の社会的、経済的及び文化的な営みの影響の下に、時間を越えて築かれた人間の社会と居住の進化の例証である」とされる。

<文化的景観>は、<地域らしさ>を読み取り、それを将来につなぐための地域の見方であり、とらえ方である。「文化的景観」という景観の優れた地域が「ある」のではなく、どのような地域でも<文化的景観>という見方でとらえ直すことにより、その地域ならではの価値を見出していく取り組みがはじまるだろう。

例えば、そこに暮らすみなが大事にしている地域の「大きな木」があるとする。(中略)「大きな木」を語るためには、木のかたちをつくっている根と幹と枝と葉っぱの関係性とともに、その木が立っている場所の意味、その木を大事にしている人々の文化など、個別の情報を組み立て直す思考のフレームワークが必要となる。
(本文より抜粋)
見る側が文化的景観と捉えるならば、どんな風景も文化的景観になる。

ちょうどこの本を読んでいたとき、東京の実家に正月休みで帰っていた。
自分の実家は、すべて人間の手によって設計された人工島の団地。
地形に合わせた生活というのが分からないのも無理はないと言い訳してみる。
なにせ人のために地形を作った場所で生まれ育ったのだから。
 
ただし、胸に染みる超主観的文化的景観は、団地に結構あるのだ。
里山に沈む夕日よりむしろ、錆びたアパートに差し込む夕日にぐっとくる元団地人なのです。

本を読んで改めて正月に団地を回ってみたけど、淡河の風景と同じくらい、やっぱり団地の風景も好きだな。
そこにはちゃんとこの場所をよくしていこうという人々の営みがあるのだ。
白いプラスチック花壇が並べられている風景、それはそこに住む人の自発的なものだったんだよねきっと。子どもの頃にはそこまで気が回って見てなかったけど。

文化的景観は、見方を捉えなおすこと。
景観だけでなく、見方を捉えなおすことはどんなことでも大切。

どんなことにも、好奇心と心地よいプライドを持てるとよいな。
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