今週は、夏から茅葺きの現場でインターンをしている学生の最後の大仕事として、茅葺きを身近に感じてもらうためのワークショップが週末にあったため、その企画準備のフォローをしていました。
茅葺きのワークショップ自体は普段から色んな場所でやっているため、インターン生がそこに何かプラスの価値付けをする必要がありました。
 
しかしその案が中々出てこず、年末にようやく、ワークショップで作る小屋に映像を投影するというアイデアで固まったものの、なぜか本番10日前に、
「時間がないので当日流すか流せないかは別として、映像には挑戦してみます。」
という謎の返答が返ってきたため、感情のすべてを抑え、
「流すか流さないか別にしてみたいな言い方はもう辞めなさい。当日までになんとかして。」
というセリフを贈る。学生相手にもう8年近く仕事をしているので、嫌われることに慣れたというのは大きいですね。
 
なぜ、何かに挑戦することにこんなに怯えてしまうのでしょうか。
インターンは、アルバイトと異なって何か新しいことに半年間がっつり取り組める環境を企業に作ってもらって、そこに魅力を感じてやると決めたはずなのに。

テストのように、答えがどこかにあるはずで、それが見つからないから踏み出さない。
テストのように、80点以上取れる見込みがなさそうだから、やらない。
情報検索能力に長けた世代。色んなところからアイデアは引っ張ってくる。
けれど、実際にやろうとすると、どんどん普通の内容になっていく。
失敗しても構わないからやってみ!と周りの大人が言っているのに。

彼個人の問題ではなく、失敗してはいけないという社会の不安定な空気を作り出していることに、少しだけ先を生きて社会を構成している人間として申し訳ない気持ちがある。

インターンの彼は、本番前に近隣の学校に問い合わせたところ、見事チラシを配らせてくれる学校を見つけ出した。
「○○小学校というところがチラシを配ってくれます!」
という報告が流れる。

僕たちは、チラシを配ってくれるという結果を出したことをついつい褒めてしまいたくなるけれど、まずは、勇気を出して電話をしたことを言葉にして認めてあげたいと思っています。
行動それ自体が素晴らしいことなのだと。
結果を出したことを承認してしまうと、結果が出るかどうか見えにくいものに挑戦しなくなるような気がするからです。
行動を積み重ねれば、成果に繋がる精度は上がる。
でも、行動しないと何も分からない。

YouTubeでホームランを打つ映像を見ているだけでは、ホームランは打てない。
バットを買って、実際に振ってみることからしか始まらない。

ワークショップ自体はとてもいい場になったけれど、彼は自分自身にどこまで挑戦できたのか。
またゆっくりと振り返りの時間を作って、落とし込んであげたい。

いつもインターン生をチームに加え、次の未来を担う若者に挑戦する機会を与えながら共に成長し、チームを強くしていくということに共感してくださっている淡河かやぶき屋根保存会くさかんむりのみなさんに本当に感謝です。
そしてあっきー。半年のインターン本当にお疲れさま。
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