普段の仕事のことや、活動のことを書き切れない最近。
子どもを寝かせた後に「さあもういっちょ。」とパソコンが開けない最近。
 
4月になり、4人家族になって初めて、それぞれ日中は別々の場所にいる生活になった。
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(小学校に通い始めた長男。)

夕食めがけてバタバタと4人が帰ってきて、お互いにお互いを必要としている感が以前より増しているような感覚を持っている。

それぞれが家を必要としているタイミングのような。
 
当然子どもたちは環境が変わったことで、1日がんばってきて気を張っていた糸が家の中でぷっつり切れているのがよく分かる毎日。
そして父親である自分自身も、なんとなく年度末は季節の変わり目という苦手な闇と共に先が不安になったり、このままでいいのだろうかという気持ちが沸々と湧き上がってくる時期。独立してからはそういう気持ちを打ち消す(忘れる)ために自分なりにダッシュしてきたけれど、今は攻めるよりも捉え直したい、足元を見つめ直したいという感覚が支配して、子どもと同じく家を必要としているタイミングになっている気がしている。
そして同時に、そんな自分を許容したい気持ちと、30代も中盤になっていつまでぐちゃぐちゃ言ってんだお前はという気持ちがせめぎ合い、心的にちょっとまずいかなというラインまで久しぶりにきて、今もまだやや波は続いている。


そんな中、つい先日茅葺きチームでの打ち上げがあった。
今ドイツからエイドリアンという大学生(といっても30歳)が数ヶ月建築を学びに日本に来ていて、茅葺きの現場で学んでいる。
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(気になる女性がいる時に、絶対近くに座らせてはいけない顔も中身もナイスガイすぎる男)

翻訳アプリを使って、打ち上げ中も変な日本語を翻訳したりしながら楽しんでいた。
ふと誰かが、
「将来どうしたいんやぁ?」
みたいなことを翻訳アプリに吹き込んで、彼がドイツ語で答えて翻訳された文字を見たら
「父になりたい。」
と一言書かれていた。

そのシンプルな言葉に、こみ上げるものがあった。
誰かの願っているものに、今自分はなれていることを。
それは多くの職業と同じく、なりたいからなれるものではないということを。
 
自分は父になりたいとあまり思ってなかったような気がするが、実際に父になり、そして想像以上に頭の中の子どもの占める割合が大きくて、子どもが大きくなっていくことに半分は底知れぬ喜びを感じ、半分は抗えない時の流れに猛烈な恐怖を感じたりする。
 
今はみなが家を必要とするタイミング。
仕事をはじめ与えてもらった役割は全うしたい。
そして、父でありたい気持ちにも、正直にいたい。
家族の拠り所でありたいし、自分の拠り所としても頼れればいい。
そういうときは、そうあればいい。
 
7年前にノートに書いたことを、改めて噛み締める。

「子どもを抱くことができる時間は、限られているのだから。」
チルチンびとkids / 親子で過ごす時間に習得すること

34歳になったスタートは、そんなことを考えて始まっています。
スロースタートで、何かとごめんなさいという感じです。

いつもお世話になっているみなさま、いつもありがとうございます。
この1年もどうぞよろしくお願いします。