4月から複数回に渡ってお手伝いさせていただいた企業の新入社員研修が無事終わる。
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約500名にもなる新入社員のみなさんが、石巻や熊本の被災地に分かれ復興活動に取り組み、その過程で、相手(他者)に喜んでもらうためにはどうしたらいいのか、チームとしてどうあればいいのかということについても学んでいく研修。とても好きな仕事。自分はサポーターとして、気付きや学びを引き出していく役割を。

そして神戸に戻り、数ヶ月から半年インターンを終えた学生たちのお疲れ様会。
半年の学びをプレゼンにまとめてくれて聞き入った。
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前職でも5年間大学生と対峙して、卒パや長きに渡るイベントの終わりにいつも思っていたこと。
そして今回も、多くの新入社員やインターン生と出会い、別れて思うこと。
それは、
「出会った若者に前向きな思考や未来を提示できているのだろうか。」
ということ。

自分とは違う素敵な大人に会えていれば、将来や未来にもっと前向きになれるような人になれたんじゃないだろうか。ここ数年、敵わないなぁというすごい人にもたくさん出会い、なおのことそんなことを別れの度に思ってしまう。

基本的な性格は批判的で、ネガティブである。
そして高校時代にパンク・ロックに支配されてから以降、社会に対しては、
「戦わないと、力をつけないと、学ばないと、いいように利用されて、騙されて、潰される。」
と思っている。
今でも変わらず思っている。

だから常に、若者に対峙するときも、
「それじゃだめだよ。あと10年経った時、自分で自分の生きたい道を選べない。」
というアプローチになってしまう。

どうやらこういうアプローチが前近代的だということは、世の中の流れを見てもよく分かっている。
褒めて、いいところを見つけて、たくさん会話して、話を聞いて、関わっていく。

でもそれはある側面から見たら、条件付きの人材を育ててしまっているのではないか。
大したクオリティでないものを褒めて、本人がそれでいいと思ったら、その行為はその人の未来の伸びしろを潰しているような気がするのだ。そしていつでも自分の話を聞いてくれる人がいるのが当たり前の状態というのも、決断力を鈍らせたり、孤独と付き合っていくということができなくなるような気がするのだ。

本当に人を育てるのがうまい人は、細かいことには上手に目をつぶり、意欲を高めることでいい仕事いいクオリティが出せるように持っていける人なんじゃないだろうか。やっぱり前向きに仕事をしているときは、スピードも質も成長の曲線も高まるのは事実だと思う。
でも自分はそうやって育てられていないから、その育て方のイメージがわかない。

そして20代の頃に必要なかったプライドもズタズタに引き裂かれ、感覚的な性格をロジックで攻め立てられ、「モチベーションは幻想だ。モチベーションで仕事の質が変わるやつは終わってる。」と一蹴され、己の無力さを嫌というほど思い知ったから、今なんとかやれているような気がする。
ただ無力感は変わらずあり続け、こんな状態で「仕事は楽しいよ」「人生楽しいよ」なんてやっぱりまだまだ言えなすぎるし、言えるようになるとも思えない。
でも自分で選択してきたという納得感だけは、そこだけはなんとか半分くらいは手に入れられている。
だから当時はまったく感謝できなかったが、後で効いてくるように感謝している。
 
でも今その方法でいいのかと問われれば、それは分からない。
本当に分からない。 

「今は感謝できないだろうが、後でちょっとだけ感謝してくれるかもしれない。」
 
それしかできないけど。
希望はあまり語れないが、戦い方は少しでも。
 
はー。
それにしても悩むこと多しだ。