今日は農村定住コーディネーターの意見交換会。
もう5年目となる事業であるが、悩み多き仕事であり、神戸農村の認知という点では一定の成果は出ているような気がするが、移住を希望される数に対して圧倒的に物件が足りていない。
 
元々自分は、この事業を受託している淡河ワッショイ(淡河町自治会の下部組織という位置づけ)に出会って、
『お母さんが子育てしやすい町にする』
という目指す方向性がとてもとても好きで関わるようになった。
「町を元気に!」という曖昧なものでもないし、「雇用創出を!」みたいな堅苦しいものでもないし、そのニュアンスが自分の中にしっくりきた。
 
淡河ワッショイでこの事業を受託することが決まり、担当を何人か決める時に手を挙げたが、やる理由は、
「自分の息子の友達を増やしてあげたい。」
程度のものだったような気がする。
農村を軸に子育てをして、同じような仲間が増えれば子どもの数も増えて町への恩返しにもなるしいいのではないかくらいにしか思っていなかった。
 
実際にやってみると、空き家を持っている人も移り住みたい人も色んな気持ちや想いがあるし、課題は少子高齢化だけではないし、そのアンバランスさや、人の希望を形に変えることができずにしんどくなることも多い。
そもそも自分がその舵取りの一人として存在していていいのかということも。
 
そしていつのまにか、受け切れない現実から法制度という大きな話や他のエリアにも意識を巡らせるようになっている。
土下座して謝れない広い範囲のことは20代で懲りたから今こういう生活をしているはずなのにと思うこともある。
 
淡河や神戸の農村地域全体も気付けば色んな動きがあり、それはもちろんありがたいしいいことなのだけど、次第に消費されていく町になっていかないか不安になることもある。
 
これはあくまで自分の話だが、ボチボチ仕事があって、子どもをみんなで育てられる環境で、消防団や地域行事や田畑の維持にきちんと関われる時間があって、ただただ普通の生活者であれればいい。
 
でも実はそれがすごく難しいのだ。
 
2016年の夏、夜市というイベントでカブトムシが全く足りず、
「今日の17時からカブトムシを取るので集まってください!」
と15時に一斉連絡したら10人くらい大の大人が集まってカブトムシを必死に探した(結果いなかった)ような、ああいう小さなことでもみんなが寄ってこれたような、普通の中に少しユーモアがあるような、そんな生活を。
 
自分勝手極まりないが、色々と考える。
自分が信じたことくらい、形にして表現して、そして守っていかないとな。
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