昔よく聴いていた曲を久しぶりに聴いた。
何かに呼び起こされるように、お盆は大抵そういうモード。

ただ今年は、自分が自分の父親を思い浮かべて聴いていた曲が、自分と息子のことに入れ替わったように聴こえてきた。


自分には小3の息子と今年5歳になる娘がいる。
今回は長男の話。

こんなことを書くのも躊躇われるけれど、本当に愛おしい。
幸か不幸か、農村に住んでいるため1人で友達の家や公園に遊びに行けぬ距離なので、今でも週末は仕事がなければどこかに連れていったりして親子で遊んでいる。
仕事や活動柄、子どもを連れていけるケースもあるので、一緒に店番や役回りをしながら色んな大人と関わりながら育ててもらっていた。
  
ただそんな息子も最近、無邪気についてくることが減り、
「ばあばの家にいたい。」
ということが増えた。
 
長期休校の後でリズムも整わず疲れていると思うし、休校期間中に与えたマインクラフトに鬼のようにハマっているのでそれがやりたいというのもあるだろう。
そもそも、自分の場合であれば小1か小2くらいから土日は友達と団地の中を駆けずり回って遊んでいた。むしろ親によくついてきてくれた方だと思う。

それでも、やっぱり父親としては息子の変化を頭では理解できるものの気持ちとして中々受け入れきれず、さみしい。
父親とはもっと泰然自若な存在ではなかったのか。
「行きたくない。」
の一言にこんなに動揺し、しかも週明けの仕事中に思い出してはへこむような虚弱だったとは。

人と人は一緒に楽しくしたり助け合ったりするものであり、家族ですら依存するものではないと思って意識的に生きてきた。
息子にも、彼のために色んな場を与えてきたと思っていた。
でもそんなことは全くの見当違いであった。

親離れや子離れとは、子ではなく親がするものなのだと情けないながら身に染みる。

この日々が、こんな歌詞を読んだときに息子にも染み渡るものであったらいいなと思いながら、戻らない時間を自覚しながら大切にしていきたい。

自分がその立場になれば分かる。
我が子との関係性の取り方は意外に難しいということを。
よかれと思って繰り出す提案やアクションが全然ヒットしないことを。
それによっていちいち悩んでいることを。

そして、グローブをもらった子どもよりも、一方的にグローブを渡した父親の方が何倍も喜んでいることを。
唄を聴きながら、そんなことばかりを考えていたお盆でした。


朝早く足の音で目が覚めた
枕元には真新しい野球グローブ
さあキャッチボールだと父親が微笑んでいる

父親がくれたプレゼントそのすべてが愛だったのさ
父親が教えてくれたことすべて愛だったのさ

愛をもらったり愛をあげたりを繰り返して
いつ頃僕らは大人になるのかなぁ
愛をもらったり愛をあげたりがすべてなんだと
気付く頃にもう誰もこの世にいない

一人ぼっちの世界 / ガガガSP(原曲はメガマサヒデ)

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