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つるまき農園の鶴巻といいます。
兵庫県神戸市北区淡河町というところに住んでいる1984年生まれです。
  
『地域や暮らしを耕したい』という意味を込めて、「農園」です。
農業も仕事の中の1つとしてやっています。

昔の人の生き方って、仕事も役割ももっと輻輳していたんじゃないだろうか?
そんな仮説を持ちながら、求めていただけるままに現場から企画や事務まで色んな仕事や活動をしています。
 
【現在の仕事や活動2022.10】

【経歴】
■東京都品川区立八潮南小学校(1991年~1997年)
埋め立て地のマンション群で育つ。小学生の頃の趣味は哀愁漂うプラモデル作り。
■東京都品川区立八潮南中学校(1997年~2000年)
親友や幼なじみとケンカし、2年の頃からはあまり楽しくない時間を過ごす。ひたすらプレステでRPGをやりまくる日々。
■東京都立青山高校(2000年~2003年+2004年)
テニス部、文化祭とひたすらに勉強とは関係ないことに心血を注ぐ。一方で、毎日の満員電車に疲弊し、一生これは無理と察する。3年で大学に合格する学力は身につかず、浪人。
■関西学院大学社会学部(2004年~2008年)
「大学生=一人暮らし」という方程式だけは譲れず、なし崩し的に関西へ。NPO法人ブレーンヒューマニティーに出会い、子どもとキャンプに行くようなボランティア活動に没頭。教師を目指していたが早々に諦め、法人運営の方におもしろさを感じ、人材育成の理事を歴任。理事長の能島さんとの出会いがその後の人生に大きく影響する。
■公文教育研究会総合職(仙台事務局)(2008年~2010年)
唯一興味のあった「後方支援で教育に関われる立場」の仕事として入社。仙台事務局に配属され、宮城県の郡部の教室を担当する。先生方を見て地域に根ざして生活することのかっこよさを知り食べ物がびっくりするくらいおいしくて豊かさとはなんたるかを知るなど、たくさんの影響を受ける。自分も転勤族ではなくどこかに根を下ろして生活したいという気持ちが日々大きくなっていたところに、ブレーンヒューマニティーから職員として戻ってこないかと打診を受け、震災の8ヶ月前に退社し、兵庫県に戻る。
■NPO法人ブレーンヒューマニティー事務次長(2010年~2015年)
就職と同時に結婚。子ども達の野外活動プログラムを管理しつつ、高校生のキャリア教育授業「関西カタリ場」や、生活保護世帯向け学習支援の立ち上げ、東日本大震災の復興支援などに関わる。学生の頃に関わっていた時より社会課題はさらに重くなり、もう少し違う生活の在り方はないのだろうかと考える。自身も子どもが生まれ、仕事と子育ての両立が全くうまくできず、教育に関わっているのに自分の子どもがおざなりになっているのは本末転倒ではないかと悩む。今の自分があるのはこの法人があったからこそという感謝の気持ちがありつつ、自分の取り組みたいことが見えてきたこともあり、5年間の契約満了を機に2015年9月末に退職

■淡河町へ移住(2014年)

ブレーンヒューマニティー在任中の2014年4月に西宮市から神戸市北区淡河町に引っ越す。

まさかの離婚(2021年)
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現在に至る。

【座右の銘】
どうにもならない事なんてどうにでもなっていい事
(THE BLUE HEARTS「少年の詩」より)

【基本思想】
パンク・ロッククッキングパパ)÷2

【しれっと出現歴】
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