変な気候です。
自分は兼業農家なので、1年の中で畑をしている時間に大分偏りがあり、5月は植え付けのシーズンのためほぼ畑にいる。…はずだったのだが、雨が続くおかげで中々畑に出れず、他の仕事を減らしていた時間が結構空いていて、普段の5月とは全く違う精神状態で過ごしている。ただこれはクレジットカードの農作業版みたいなもので、先延ばしにしてるだけで気が気ではない。というか晴れが続いて畑が乾く日はやってくるのだろうか…。
  
しかし天気のことは致し方ないので半分諦め、サツマイモを植え付ける量も少し減らし、この時間を次の溜めにできればと本を読んだりYouTubeを聞き流したりする時間が増えている。
 
少し前はインテリアや家事のようなことを掘っていて、自分の身の回りのことを整え(直し)たいという願望が強く湧いているような気がする。
しかしこれはいくらDIYを絡めてもお金がかかって仕方ないのでほどほどにしておかないといけない(植え付け量も減らしてますし)。
 
そしてなんとなく、自分の今の状態に自分がやや飽き始めているという問題も薄っすら感じている。
不安が先立ち、生活基盤を安定させたいと願うのに、安定し始めると飽きるのか。
もはや何かの病気のようである。っていうかまだまだ安定してないんだよ君は。
これまでありがたいことに、農村をベースとした1つ1つの仕事や活動がそれぞれに相互して強みになってやってこれた気がするが、全く新しいこともやってみたいような。これは何かを辞めることも同時に行わないといけないのだが。
前職を辞めて身体がぽっかり空いたあの感覚は忘れられない。
 
決して農村の活動が飽きたというわけではなく(ここは自分の人生にとって最も必要な場所)、自分に飽きてきた原因は、ここ数年、自分から何かに応募してみたり、出会いにいったり、始めたりしてきたのだろうかというメンタリティに起因しているのだと。
子どもたちに新しい経験をと躍起になるが、親のお前はなんなんだと。
声をかけてもらった仕事を形にする「挑戦」はそのメンバーと懸命にやってきたつもりでも、入り口は受け身であることに変わりはない。
  
自分のスタンスとして、自分から機会や出会いを掴みにいっているのだろうか。
自分もあと何年かして、「一緒に仕事しよう。」と次の世代にチャンスを作り出す人間になれるのだろうか。
このままコミュニティの中でいい関係を築いていければ、ぼちぼち生きていけるだろうと思ってないだろうか。
 
37になり、40という数字が少し見えてきて、このままスルスルといこうとしていた自分に飽きがきているのかもしれない。いや、スルスルいけるほど甘くないんだよという恐怖感もある。
興味の赴くままに本や動画を浴びるように読んで聞いて、少し奮い立っているところもある。
 
単純に、コロナ禍で動きが制限されていることへの純粋なストレスとか、畑に向けるために調整してきたエネルギーの発散場所がなく変なことになっているだけなのかもだけど。
やっぱり多動にとって、思いついたときに思いついた行動や場所に行けないのは中々きついっすね。
 
今胸の内にある気持ちは忘れたくないなと思い、記録してみることにした。

DSC_1322~2
丁寧で腰の据えた暮らしがしたいと思うけど、できないんだろうなーこの軽い性格よ。