数年前にずっと考えていた内容のツイートがふと表れた。
「退屈(休日という概念も含む?)」とか「時間が空いた時」の解決策が「消費」になっているということである。
自分自身は東京で生まれ育ったので、完全にこのパターンであり、親は休日になると色んなところへ連れていってくれたり、おもちゃを買い与えたりしてくれた。お小遣いをもらうようになってからは、プラモデル、ミニ四駆をちょっとずつ貯めては買いの繰り返し。
それは全く否定されるものではなく、それにより色んな機会を与えてもらったので感謝しかない。
事実として、そういう習慣の下で育ったという前提である。
自分でアルバイトや仕事で稼ぐようになっても、基本的に休みや時間ができたときは、同じように「消費」という行動でその穴を埋めてきた。その行動は客観視することもなく、全人類がしている当たり前の行動だと。
そして、社会人になりたての1~2年目は、週末に配属先の仙台の地で友人もおらず、昼まで寝て漫喫などに行って、休日しか着ない私服を買い、ビジネス書を大量買いしてラーメンや一人焼肉を食べて家に帰るという散財行動で何一つ満たされず、結構人生がきつかった。
自由に使えるお金が増えても、消費だけでは幸せにならないということは強く刻まれた。
農村に住むと、ずっとそこで住んでいる人は、(無意識に)消費とうまく距離を取っていることが分かる。どこかに行かなくても、子どもを連れて裏の山に入って遊んでいる。
縁側でお喋りを楽しんでいる。
そして、畑をしながら消費ではなく生産活動をしている。
自分は中々これができない。
休みの日で子どもといれることになったら「さあどこに連れて行こう」がまず頭に浮かんでしまう。
それが親の務めのような呪縛があるかのように。去年からコロナ禍でそれができないのが結構苦痛である。
自営業になって時間のやりくりもしやすくなったので、平日のある半日はもう仕事を休もうという時も、まず思い浮かんでしまうのは、温泉とかラーメンとか服買ってしまおうかなーとかいう消費行動ばかりである。なので神戸の農村だから心地よいのだが、消費地から距離のある農村ではたぶん生きていけないか、amazonの明細がひどいことになるであろう。
「農村で支出の少ない生活してしっかり貯金とかしてそう。」
とごく稀に言われるが、貯められない人間なので、入った分はこうやって消費活動にがっつり貢献してしまっている。
この習慣は中々変えることが難しいのだが、消費も楽しみつつ、それだけでは豊かになれないということは引き続き頭の片隅に入れて生活したい。
ふと時間が出来たときに、車に乗るのではなく、目の前の畑の野菜を愛でる…そんな人間に、ワタシハナリタイ。
山口周@shu_yamaguchiNHKの番組の準備でいまエンデの「モモ」を再読しているのですがやっぱり面白いですね。灰色の男が現れるのは「退屈してるとき」なんですね。これはケインズやラッセルが指摘してたことだよなあと。「退屈」という社会問題を解決するために「消費」という環境問題が生み出されるトレードオフ。
2021/05/20 08:13:41
「退屈(休日という概念も含む?)」とか「時間が空いた時」の解決策が「消費」になっているということである。
自分自身は東京で生まれ育ったので、完全にこのパターンであり、親は休日になると色んなところへ連れていってくれたり、おもちゃを買い与えたりしてくれた。お小遣いをもらうようになってからは、プラモデル、ミニ四駆をちょっとずつ貯めては買いの繰り返し。
それは全く否定されるものではなく、それにより色んな機会を与えてもらったので感謝しかない。
事実として、そういう習慣の下で育ったという前提である。
自分でアルバイトや仕事で稼ぐようになっても、基本的に休みや時間ができたときは、同じように「消費」という行動でその穴を埋めてきた。その行動は客観視することもなく、全人類がしている当たり前の行動だと。
そして、社会人になりたての1~2年目は、週末に配属先の仙台の地で友人もおらず、昼まで寝て漫喫などに行って、休日しか着ない私服を買い、ビジネス書を大量買いしてラーメンや一人焼肉を食べて家に帰るという散財行動で何一つ満たされず、結構人生がきつかった。
自由に使えるお金が増えても、消費だけでは幸せにならないということは強く刻まれた。
農村に住むと、ずっとそこで住んでいる人は、(無意識に)消費とうまく距離を取っていることが分かる。どこかに行かなくても、子どもを連れて裏の山に入って遊んでいる。
縁側でお喋りを楽しんでいる。
そして、畑をしながら消費ではなく生産活動をしている。
自分は中々これができない。
休みの日で子どもといれることになったら「さあどこに連れて行こう」がまず頭に浮かんでしまう。
それが親の務めのような呪縛があるかのように。去年からコロナ禍でそれができないのが結構苦痛である。
自営業になって時間のやりくりもしやすくなったので、平日のある半日はもう仕事を休もうという時も、まず思い浮かんでしまうのは、温泉とかラーメンとか服買ってしまおうかなーとかいう消費行動ばかりである。なので神戸の農村だから心地よいのだが、消費地から距離のある農村ではたぶん生きていけないか、amazonの明細がひどいことになるであろう。
「農村で支出の少ない生活してしっかり貯金とかしてそう。」
とごく稀に言われるが、貯められない人間なので、入った分はこうやって消費活動にがっつり貢献してしまっている。
この習慣は中々変えることが難しいのだが、消費も楽しみつつ、それだけでは豊かになれないということは引き続き頭の片隅に入れて生活したい。
ふと時間が出来たときに、車に乗るのではなく、目の前の畑の野菜を愛でる…そんな人間に、ワタシハナリタイ。