先日、須磨に新しくオープンした「自由港書店」さんで、1冊の本が目に留まり、直感で購入。
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土井善晴さんの「料理と利他」という本。
料理と利他
中島岳志
ミシマ社
2021-01-12


最近は、家の中を触ったり、料理に改めて向き合ったり、花を飾る器を探したりと、内なる方へ内なる方へ向かっていることが多い。
そんな中で、民藝の考え方に改めて触れ、この本もまさにそのようなことを書かれている本であり、求めているものは重なっていくという感じがする。

日々仕事なりなんなりでアウトプットしていると、その評価や見られ方によって自分が構成されているかのように錯覚してしまう。
他者との関わりの中で生きていく以上、それは当然その通りではあるのだが、それに傾倒していくと、もっと他者とは違うアウトプットを、とか、このプロジェクトは僕が関わったんです!この干し芋は僕が作ったんです!とアピールを続けなくてはいけなくなる。

その作者性みたいなものの競争に虚しさや疲れを伴う瞬間もある。

仕事も、農業も、押さえるところをそれなりに押さえれば、あとは事が進んだり、育ったりすることを淡々と受け入れていけばいいのではないか。みんなのおかげだし、みんなのせいなのだ。
その淡々としたそれぞれの行いが集まって、暮らしが成立しているのではないかと。

作品として残っていく作者性(も大事なのだけど)以上に、民藝の中にある、使われたり食べられることを前提として生み出される無名性みたいな捉え方が最近はしっくりきていて、家庭料理や、家で自分や来客の人が嗜む程度の花をたまに入れ替えるという生活のあり方に目を向ける機会が増えた。

そして仕事や活動も、浮き沈みの少ない淡々とした暮らしが町の中に続いていくために、どうやって作者性と無名性のバランスを取っていけばよいのだろうかと考える。

ブルーハーツはなるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せをなるべくいっぱい集めようと教えてくれましたな。ずっと頭にありますよ。

無名性の中で、毎日家庭菜園のきゅうりを3本食べ続けても収穫が追い付かない(で焦る)穏やかな暮らしがここにはあります。

"美しいものは追いかけても逃げていく。でも、淡々と真面目に仕事すること、自分が生活をするということで、美しいものはあとからついてくるじゃないかということを、河井寛次郎や濱田庄司は、発見するわけです。"