大学時代の活動でもう一つ大きな影響を受けたのが、海外でのワークキャンプというプログラムでした。
ブレーンヒューマニティーで年中あたふたしていたのですが、春休みの一時期だけ微妙に余裕がある時期があったので、ハビタットフォーヒューマニティー(なんか名前似てる)の大学支部のメンバーとして、貧困地域の住居建築の海外ワークキャンプに行っていました。
この法人は、貧困地域に住む人々に安心して住める家を提供することを目的として活動しています。この取り組みのおもしろいところは、無償で住居を提供するのではなく、
・家主も家造りに参加すること
・少額ローンを組んで、建築費を返済していくこと
を課している点です。こうすることで、労働する習慣(=自立)も身につけることを目的としています。

屋根が朽ちていたりして、雨が降ると雨が直接入ってくるような家が多くありました。

こんな感じで資材を運んでもらいます。のどかです。

煉瓦を積んでいくところなどで、各自別れて現地の大工さんや家主さんのお手伝いをします。

最後はトタンを張って雨が入らないようにします。

この時は完成途中で帰国してしまったのですが、完成するとこんな感じの家になります。簡素な作りですが雨風はしっかり凌げます。
この活動は、自分にとって大きなものでした。
「何が豊かなのか。」という至極漠然としたテーマについて、自分の生きている環境と比較する対象ができたからです。
決して金銭的に恵まれているわけではないけれど、いつも家族や村の人たちと一緒にいて、協働しながら仲良くしている(あくまで表面上そう見えるだけですが)。何より溢れるような笑い声や笑顔にたくさん出会いました。この自然に楽しそうな雰囲気は一体なんなんだろうか。
大事な人達と近くにいて生活を共にする。これ以上のことで、何を望むのだろうと考えました。
また、こうして先進国から人間からきて、便利なことやモノを教えてしまったとしたら、彼らの持つ豊かさを奪ってしまうのではないかと思うこともありました。
「今」の状態に満足や感謝できることは、とても大切だと思います。モノを買い、次から次へと消費をする自分たちの暮らしは、満足ができないようにし向けられているような気がします。最新のスマホを買ったところで、半年後にはその機種は「型落ち」と呼ばれる代物になり、次の新しいものが欲しくなります。消費社会は満足することを認めてくれません。次から次へと購買意欲をそそるような上手な戦略を仕掛けてきて、もっと、もっと、となってしまいます。
教えてしまうという行為は、ある側面で見れば罪でもあると思います。知らないからこそ今の状態に満足できていたのに、
「え、それほしい。あれもほしい。」
となってしまえば、だんだんと今の生活に満足することが難しくなってしまうかもしれません。もちろん便利になることをすべて否定しているわけでなく、例えば医療で先進的な薬や治療で生き長らえることができればそれは大切だと思いますが、本来大して必要でなかったものを必要だと思いこんでしまうケースがあるのではという感じです。
自分たちがやっていることが無批判で100%良いことではないんだなということを感じる機会でもありました。むしろ、本当の意味で貧困地域の住居問題を解決したいのであれば、自分が現地に行く旅費を、すべて住居建築代として団体に寄付した方がよいのです。この活動は、半分誰かのため、半分自分のためでしかないという立ち位置がよく分かったことも大きいことでした。でもそれを否定するのではなく、自分のためになることが誰かのために多少でもなるなら何もやらないよりましだし楽しくていいかなというくらいの気持ちで今も生きているので、変に気張らずにできているのかなと思います。
「え、それほしい。あれもほしい。」
となってしまえば、だんだんと今の生活に満足することが難しくなってしまうかもしれません。もちろん便利になることをすべて否定しているわけでなく、例えば医療で先進的な薬や治療で生き長らえることができればそれは大切だと思いますが、本来大して必要でなかったものを必要だと思いこんでしまうケースがあるのではという感じです。
自分たちがやっていることが無批判で100%良いことではないんだなということを感じる機会でもありました。むしろ、本当の意味で貧困地域の住居問題を解決したいのであれば、自分が現地に行く旅費を、すべて住居建築代として団体に寄付した方がよいのです。この活動は、半分誰かのため、半分自分のためでしかないという立ち位置がよく分かったことも大きいことでした。でもそれを否定するのではなく、自分のためになることが誰かのために多少でもなるなら何もやらないよりましだし楽しくていいかなというくらいの気持ちで今も生きているので、変に気張らずにできているのかなと思います。
日本の農村よりも先に、海外のこういう地域を見てその生活のあり方に影響を受けたのでした。
(無駄につづく)