仙台で生活していると、あることに気付きます。
『食事がうまい。』
正確には、
『素材がうまい。』
のです。
これまで生きてきた中では、味付けがうまいかどうかだけで料理を判断してきたような気がするのですが、材料そのものを、
「うまい!すごい!」
と思う機会が生まれました。この発見は自分の中でも大発見です。
「うまい!すごい!」
と思う機会が生まれました。この発見は自分の中でも大発見です。
東北の魚はもちろん有名です。
塩竃、松島、石巻、気仙沼・・・どこに行ってもものすごいおいしい魚に出会えました。
でもそれ以上に、今でも鮮明に覚えていることがあります。
塩竃、松島、石巻、気仙沼・・・どこに行ってもものすごいおいしい魚に出会えました。
でもそれ以上に、今でも鮮明に覚えていることがあります。
ある休みの日、特に何も用事がなくあっさり夕方を迎え、
「また今日も貴重な休みを無駄に過ごしてしまった・・・。明日からまた仕事か・・・。」
と悲しみに暮れながら近くの生協に夕飯の買い物に行きました。
「また今日も貴重な休みを無駄に過ごしてしまった・・・。明日からまた仕事か・・・。」
と悲しみに暮れながら近くの生協に夕飯の買い物に行きました。
野菜コーナーの一番目のつくところに、
『産地直送!』
と書いてあったそら豆が売っていました。
『産地直送!』
と書いてあったそら豆が売っていました。
はっきり言ってそら豆をおいしいと思ったことはかつて1度もありませんでした。子どもの頃たまに食卓に出ていましたが、あの大きなサイズ感と口に残る感じが嫌で、無理矢理食べたような記憶くらいしかありません。大学時代もよく自炊をしましたが、そら豆は1回も買っていません。
ただおそらくその当時のテレビCMで、ビールを飲みながら焼きたてのそら豆を食べるというのがあり旨そうだったので、何となく買ってみることにしました。
家に帰ってさっと茹でて、熱々のまま皮を向き出来たてに塩を付けて食べる。
「・・・え!?この旨さ何!?これだけで!?!?」
しがない休日がそら豆によって黄金の休日に変わりました。冷めるともったいないので、結局茹でたてをすべて台所で食べきるという有様でした。
またある時は、仕事である場所を訪問した際に、
「家で取れた新米食べなさい。」
とお米をいただきました。
それを食べた感動を当時のmixiに書いていたのでそのまま抜粋。
携帯の写真がすごい縦長なのに歴史を感じます。

日経新聞の確か木曜あたりの コラム風に書きます。↓↓本日吾輩は仕事で田舎の教室に行ったのだが、 帰りに思いがけずその先生の家で収穫した 米3キロをもらったのだった。これはこれはと心躍り近くの直売所とコープに寄り、 急ぎ足で帰る。米をやさしくやさしくとぎ、水を少し少なめに炊飯ジャーにかけた。豚汁を作りながら横で吹き上げる蒸気に、なんとも言えないわくわく感を感じるのだ。待つこと40分、でき上がった米はまさに芸術品。敬意を表して食わねばならぬ。テレビを消す。まずはお椀に軽く盛られた米に、たわむれに大根おろしとじゃこを乗せ、数滴の醤油をぽろりぽろり。口に含むとまず鼻の中を 大根の風が通り抜け、食欲に火が付く。そうこうしている内に 米のぽくぽく感とじゃこのむちむち感が口の中で混じり合い、「うおー!」と叫んでしまうほどうまい。そのままかきこみ一杯目終了。お次は泣く子も黙る明太子。白飯の上にちょこんと置かれた明太子はダイヤの様に美しい。少し身をほじくり出して白飯と食べれば、明太子のねっとり感が口に広がった後に米がそれを50倍くらいの旨みに広げるのだ。もう止まらないとこれまたかきこみ、お椀の中には米はなくなっているのだった。最後は卵かけごはん。蔵王の取れたて卵を拝借し、白飯の真ん中にとろん。新鮮な卵は黄身が浮いている。これにしょうゆをちょろんとたらし、おもむろにかき混ぜてうわっとかきこむ。口の中でくちゃくちゃとろとろ、卵と米のうま味が暴れまわり気分は最高潮。「たまらん!」と食べ続けるが、気がつくとお椀は 黄色を残したまますっからかんになってしまうのだった。これを幸せと言わずして何が幸せと言えるのか。吾輩はしばらく動けないほど 余韻に浸ってしまったのであった。
・・・相当うまかったのではと推測されます。
こういった経験が仙台にいると次から次へと起こり、
「新鮮な野菜とか魚っていいなー。」
という食の豊かさを感じました。
レストランで手の込んだおいしいものを食べるのも大切な時間だけれど、日常生活の中でこういうおいしい素材を毎日食べたい!と強く思ったのも、完全に今に繋がっているように思います。
(無駄につづく)
