若い頃は、瑞々しい自分の気持ちや思想を書き散らしていた。それは今読むと恥ずかしい部分も多いけれど、必死にポジションを取りにいったり自分の人生に自分で納得したいという気持ちに溢れている。
ここ数年、色んな人に会えば会うほど、何かを主張することができなくなり、全てのことにおいて中道的な思想に支配される。どっちもあることが大切で、偏らないことが大切だと。当然こんな状態だと何も書けない。
いつか、瑞々しさを越えて、他者の状況を理解できることも越えて、その先にある自分の世界の捉え方を自分で表現できることに期待している。自分に期待している。
だから今は何も出てこないけど、他者に会い、本を読み、場所を訪れ、インプットを続ける。書き残しておきたいなと思ったこと。
ここ数年、色んな人に会えば会うほど、何かを主張することができなくなり、全てのことにおいて中道的な思想に支配される。どっちもあることが大切で、偏らないことが大切だと。当然こんな状態だと何も書けない。
いつか、瑞々しさを越えて、他者の状況を理解できることも越えて、その先にある自分の世界の捉え方を自分で表現できることに期待している。自分に期待している。
だから今は何も出てこないけど、他者に会い、本を読み、場所を訪れ、インプットを続ける。書き残しておきたいなと思ったこと。
何か書くということは、ある程度、独断でやらぬ限り出来るものではありません。いや、ついには徹頭徹尾独断でないかぎり、人は何一つやってのける事はできないのです。
白洲正子