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京都に会いに行ってきた。
 
記憶が確かであれば、最後にライブというものに行ったのは2015年だったか。
FAT WRECKED FOR 25 YEARSで、ハイスタとして拝んで以来。たぶん。
 
2015年というのは、自分の中では結構最近のことのようで、この辺りで経験していることはまだ数年しか開いてないから大丈夫と思っていたらもう10年経っている。恐ろしい。
 
高校時代から、お金を貯めてはライブハウスに通い、好きなバンドを見てきた。
縦横無尽に暴れて一体になれることが非日常的で、ここで生を感じているような節もあった。
 
今回久しぶりに狭いライブ会場に足を運び、10年前の記憶が呼び起こされた。
30を過ぎた頃に、このken yokoyama(個人名だがバンドという謎)のライブでいつものようにもみくちゃになっていた時に、
「自分はいつまでこっち側なんだろうか。自分もステージに上がるような生き方をしないといけないんじゃないか。」
という強烈な虚無感に襲われた。
崇拝する人やバンドの前で、いつもように拳を振り上げて唄い、暴れていれば、普段の日常を忘れられる。
待てよ、自分はいつまで客なんだ。誰かを崇拝して、その人のサービスを消費して、自分もその気になっている。
周りにいる客と自分に嫌悪感を抱いた。
  
そんなことを感じたのと同時に、如実に動き回る体力が低下していきただただ疲れるだけになり、ライブをどう楽しんでいいのか分からなくなっていき、次第に足が遠のいていった(と推測される)。
 
そして、2015年に前職を辞めてから、必死だった。
自分で始めるんだ、自分がつくる側に回るんだと意気込んでいた。
ライブに行くような心の余裕もなかった。と同時に、ライブで現実逃避したいという欲望もなくなっていた。
 
必死に走っていると、少しずつ自分のありたい姿に近づいていっているような気もして、誰かを崇拝する、真似るという感覚も弱まり、自分がどうあるかという視線になっていたような気もした。
いつまでも人のサービスを消費して楽しんでる奴になりたくなくて、ライブも、人のイベントもあまり行かないような日々だったのかもしれない。ただCDに関しては新譜が出れば間違いなくフラゲするのだが。
 
さて、そろそろライブなどの嗜みもと思った頃にコロナ禍となり、また遠のく。
コロナ禍の最中に離婚し、その直後に出た「4Wheels 9Lives」というアルバムには相当救われた。
そして、崇拝していたパンクの生ける伝説も、コロナ禍や老いといったものにぶち当たっていて、その"絶対的ではない"姿にまた別の視点で魅了され始めていた。
  
そしてここ数年、
あのバンドのドラムが、
あのバンドのボーカルが、
あのバンドのベースが亡くなり、
遠い海の向こうでは、次々とビッグネームが解散した。
いつまでも続くものではないということを毎年のように感じる。
自分の命も。
 
今日のライブは、久しぶりに行ってみようと心に決めたものの、先行販売も抽選に落ち、1週前にキャンセル分を探したが無く諦めていたが、今日の朝なぜかふと思い出し、検索したらチケットが売りに出ており、買った。
12時間後、ライブハウスの前にいた。
あんなに生活の中の楽しみとして溶け込んでいたのに、ライブハウスに入る前は異様に緊張して、自分がこの場所にいていいのかと思った。
そうか、10年ぶりなのか。
  
もう最前列付近で押しつぶされそうになることもなく、スタンディングのライブで生まれて初めて後方でじっと見た。
後ろで突っ立ってて何が楽しいんだと当時は思っていたが、演奏している様子も見れて、集中して聴けた。
すごくよかった。ただ3時間直立で立ちっぱなしは40歳にはかなりきつかった。
 
10年前に思った、こっち側あっち側という虚無感や劣等感はなく、もうどっち側でもいいし、こうやって人が生きている短い時間の中で、その人たちが続けていて、その表現に触れられる喜びを感じた。
パンクの生ける伝説は、55歳を越え、信じられないくらいやさしさに溢れたおじさんになっていた。
  
もっと人の表現に足を運び、触れよう。
そして自分も恐れず表現しよう。
そう思って久しぶりに書いたブログ。