なんだか気が重い。それはなぜだか分からない。
2025年は本厄の年。
自分の人生データベースには、
「本厄の時は色々あった。」
「本厄はホントに悲惨やった。」
など、先輩からのありがたくない人生訓が大量に格納されていたため、さぞかしつらい何かが起こるのだろうとビクビクしながら生きていた。
が、結果何もなかった。
無風の1年であった。
本厄は、
「運が悪くなるため、何か大変なことが(神の手によって)起こる。」
くらいの勢いで考えていたような気もするが、数年前にある人だったか本からだったかで、
「これくらいの時期に身体が変化していくから、若い時と同じように無茶してると身体を壊す人が多いぞっていう先人たちの統計的な積み上げから忠告してくれてるのが本厄では。」
「運が悪くなるため、何か大変なことが(神の手によって)起こる。」
くらいの勢いで考えていたような気もするが、数年前にある人だったか本からだったかで、
「これくらいの時期に身体が変化していくから、若い時と同じように無茶してると身体を壊す人が多いぞっていう先人たちの統計的な積み上げから忠告してくれてるのが本厄では。」
と教えてもらい、あーなるほどなと腑に落ちながら、身体には気を付けようと意識はして生活してみた。
身体の面としては、絶え間ない歯痛が襲い掛かり10年以上ぶりに歯医者に通うことになり、何度も通って歯の治療をするというのが一番大きなことだったか。
こうやって、昔は気にしなくても誤魔化せたものが誤魔化せなくなるぞという教えをいただいた気がしたり、定期健診という概念が存在することを初めて知ったりするのであった。
アラフォー学校という義務教育課程をつくり、この年齢で知っておきたい予防医療のことや老後資産のことを教える時間を取った方がよいのではと思うほど知らぬことが多い。
また昨年ややストレス負荷の高い仕事をしていた時期に体重が一気に増えてしまい、そこから落ちることなく安定推移してしまったので、カロリーを記録するアプリを導入してカロリーコントロールをするなどして、体重を5キロほど落とすことに成功した。もうコンビニの菓子パンは買えない。
元々自分で野菜をつくったり料理をするのが好きで、成人病の類のものが急に発症することはなさそうであり、身体の面では本厄は乗り切れたのではないか。
気持ち的な面では、前厄である昨年の方がしんどかったような気がしている。
特に11~12月の冬至に向かう時期は、中年危機がやってきた感覚で、自分の未来が見えず、大きな不安に襲われた。
30代前半で、「農村で暮らし、地域に関わることを仕事にする。」という夢が色んな人のおかげで早々に叶った。
そしてそれがもう10年経とうとしてる。
次の10年、自分は一体何をして生きていくのだろうか。
もう今が人生のピークではないか。あとは落ちていくだけな気がする。
ピークであるならば、自分は充分いい思いをしたので、次の世代に渡すべきではないか。
単年度更新の仕事が多い中、それがなくなったら次は何をするんだろう。
サツマイモの栽培も2年連続で収量が上がらず、このままでは農業の割合を増やすにも不安しかない。
…といったことにずっと頭が支配され、先の展望が見えなかった。
ちょうど1年経ち、今はどうなのか。
何か具体的な解決策が出たといったことはない。
けれど、そんなに悩んでいない。
いつの間にか、変わることを拒んでいたのではないか。ということにふと気付いた。
自分で一生懸命積み上げてきたものは、失ったり壊すのが怖くなる。
必死に掴みにいった役割や立場であるからこそ、なおさらその気持ちが強くなってしまう。
そしてまた、誰かが与えてくれるものを待っているから不安なのではという気付きも得た。
どんなに小さいことでも、仕事と関係ない趣味でも(いや趣味こそ)、自分で始めてみようと思った。
2025年は、年始に目標を立ててみた。もう何年もやっていなかったこと。
初めての場所に3か所以上行くとか、人のイベントに3回以上行くとか、LIVEに行くとか。
歳を重ねると億劫になることを色々と目標に入れてみた。
決めたことを達成できると、自分が前に進めているような気がした。
そして一番大きかったことが、ラジオを録ること。
こうやって文字を書くことの気が重くなってしまったけれど、表現したり残しておきたいことはあり、ずっと心の中で生まれては消し去ってを繰り返していたような気がした。自分の場合は音を奏でたり絵を描くことではなく、何かを書いたり喋ることが表現活動なんだと改めて思った。なのでそれを心の中で消し去っているのは非常に良くないのではないかと思った。
喋るだけであれば、もっと気楽に気軽にできるのではないかと始めてみた。
この表現活動は、自分が自分を肯定することの大きな支えとなった。
誰かに聴いてほしいという感情よりも、収録回数が積み重なっていくことが自分にとって大きな意味を持つのだということをはっきり自覚した。
何か未来に大きな展望が開けたわけではない。
けれど、ブログやラジオ…手段は何でもいいのだが、自分の生きている証をどんな形であれ残し表現すること。
まだ触れたことのないものに自分から触れにいくこと。
その優先順位を生産性という悪魔の言葉によって、やってもやらなくてもいいものに押しのけてしまわないこと。
身体の変化も、立場の変化もひしひしと感じるけれど、まだまだ自分の目の前には仕事だけでは得られない世界が広がっている。
まだまだ知ることのない世界を一つ一つ味わいたい。
そんな前向きな気持ちで、本厄が抜けられそうである。
2026年は、何しよう。
